カバンに好きを詰め込んで。

田中センが好きなものを好き勝手に語るブログです。

「言葉を取り戻せ」と彼は言った−−amazarashiの決意表明「朗読演奏実験空間 新言語秩序」

私たちは日々、言葉に傷つけられている。

 

それは友人が放ったなんてことのない冗談かもしれないし、あるいは恋人の苦言かもしれない。顔も知らない人から飛んできたクソリプだってあるだろう。

 

気にしない風を装っても、棘となった言葉は私たちの心に癒えない傷を残す。

 

amazarashi待望の武道館公演「朗読演奏実験空間 新言語秩序」は、事前に観客に専用アプリ「新言語秩序」をダウンロードしておくことを推奨していた。そこには、言葉を取り締まる自警団“新言語秩序”と言葉の自由を求めて抗い続ける“言葉ゾンビ”の物語が書き下ろし小説として公開されていた。

 

語り手の実多は「言葉の潔癖性」と同僚に言われるほど、言葉ゾンビを心から嫌悪している新言語秩序のメンバーだ。かつて両親から罵倒され、辱められ、学校では酷い言葉で傷つけられた過去を持ち、「言葉を殺さなくてはいけない」と誓ったことから言葉を取り締まっている。

 

他者を傷つけることがないテンプレート通りの言葉、“テンプレート言語”を社会の誰もが使うことを目標としている新言語秩序。一方でそのテンプレート言語を逸脱し、言葉の自由を取り戻そうとする集団は侮蔑をこめて“言葉ゾンビ”と呼ばれていた。

 

今回の武道館公演は、そんな「言葉が殺された世界」を舞台にした物語の一幕だった。

 

f:id:koharu-24hara:20181117015941j:plain

 

武道館の舞台の四方を囲むスクリーンは、アプリの説明や今回の世界観を説明するキーワードが映し出されていた。もともとamazarashiはどのライブでもスクリーン越しに演奏を行うことが基本なので今更驚きもしないが、今回は事前から公開されていたディストピアな温度感もあり、いつも以上に異様に見えた。

 

公演にあたり、会場にいた観客の手元にはスマートフォンがあった。公演中、然るべきタイミングで「新言語秩序」を起動させたままカメラをスクリーンに向けると、各々のスマートフォンのライトが点く。事前に席番号を登録するシステムになっていたのは、座席の位置に合わせて光るタイミングが設定されていたのだろう。

 

ワードプロセッサー』を1曲目に、時折感情的な叫びを交えながらamazarashiの演奏が始まる。しかし、今回異様だったのは、スクリーンに映し出される歌詞に検閲が入ったかのように黒塗りにされていく演出だった。言うまでもなく、新言語秩序の仕業だ。

 

youtu.be

 

2曲目に演奏されたのは、武道館公演のために作られた『リビングデッド』。YouTubeで公開されているのは、「典型的歌詞フレーズ生成技術」によって約20万曲の日本語楽曲を解析した結果を踏まえて、新言語秩序が独自に作成したテンプレート歌詞だ。「怖いものなんてない」、「永遠に続いていく道」なんてポップソングにありがちな歌詞は、本来のamazarashiならまず出てこない。時折ノイズの混じった歌声でかすかに「くそくらえ」と聴き取れるが、耳障りの良い歌詞ばかりが邪魔をする。とどめに「あなたの人生は希望に満ちている」という薄っぺらいフレーズがのさばる。

 

本来の『リビングデッド』のMVを観るためには、アプリで校閲の解除を行うほかなかった。言葉ゾンビたちが開発、配布したという設定のアプリで鑑賞できる『リビングデッド』は、新言語秩序たちの取り締まりを受けた人物が拘束され、血を吐きながらテンプレート言語で“再教育”を受けるおぞましい光景が広がっていた。

 

武道館公演は、演奏と小説の朗読で構成されていた。実多は以前より言葉ゾンビたちの先導者としてマークしていた希明を逮捕し、再教育を受けさせる。それでもなお希望を捨てない希明に、実多はこう投げかけられる。

 

「言葉を憎む人間を作ったのが言葉だとしたら、人は言葉で変われる。人を殺す言葉もあれば、人を生かす言葉もある」

 

「少なくとも、言葉でしか人は変われない。言葉を殺すということは変わる機会を殺すということだ。言葉は自由でなければならない。君は言葉を殺すことで、君自身の未来を殺しているんだ。」

 

怒りに耐えかねた実多はそのまま希明の前から姿を消すが、彼女自身は行先の無い憎しみを抱いていた。

 

物語のクライマックスで実多は、デモ会場でマイクを手渡してきた希明の一瞬の隙を突き、ナイフで文字通り「言葉を殺す」。しかし、ライブ中に新たに解放されたのは、実多がマイクを受け取り、それまで殺してきた言葉を吐き出さんとする瞬間で幕を閉じる真エンディングだった。

 

この物語はフィクションであり、実在する事件、団体、人物とのいかなる類似も必然の一致だ

だが現実の方がよっぽど無慈悲だ

 

奪われた言葉が やむにやまれぬ言葉が

私自身が手を下し息絶えた言葉が

この先の行く末を決定づけるとするなら

その言葉を 再び私たちの手の中に

 

実多は、最後に自分の言葉を取り戻した。そして物語中で「言葉ゾンビの代表」として描写されたamazarashiは、「言葉を取り戻せ」と叫んでいた。

 

amazarashiの中心人物、秋田ひろむはかつてライブのMCで、こう語っていた。

 

『amazarashiは負け組の歌だって親父に言われた』という手紙をもらいました。わいは、そのとき、なんか敵が見つかったという気がして。これからも、そういうもんに抗う歌をやっていきたいです。負け組なんて、言わせないから。

 

amazarashiはこれまで、言葉で戦い続けてきたバンドだ。手紙の送り主の父親の心ない「負け犬の歌」という言葉は、秋田ひろむをひどく傷つけただろう。それでも、「抗う歌をやっていきたい」と表明するamazarashiは、テンプレート言語にあるような耳障りの良い言葉は歌わない。「無様でも生きろ」、「ざまあみろって言ってやれ」と聴くものを奮い立たせる。

 

「言葉を取り戻せ」と叫ぶ秋田ひろむの姿は、まさしく言葉狩りが跋扈する世界で戦い続ける決意表明に見えた。そしてそんなamazarashiとともに、無様でも生きていたいと思った一夜だった。

 

f:id:koharu-24hara:20181117030624j:plain